岩永なおゆき 駆けある記

 消費税増税、憲法改悪ゆるしません!

国民の苦難解決の党

 23日は、西伯郡伯耆(ほうき)町の幅田千冨美町議と行動しました。

 午前9時に元溝口町役場で落ち合い、訪問先のMさん宅に向かいました。

 国道181号線から、県道46号日野溝口線に入ると、「ここらへんは、地震のときは、みんな屋根にブルーシートをかけとりました」と幅田さん。

 「地震」とは、2000年10月6日、午後1時30分に発生した「鳥取県西部地震」です。
マグニチュード7.3、震度6強の地震が日野町を震源に発生し、幸いにも無くなった人はありませんでしたが、重傷20人、軽症77人、全壊家屋が338戸、半壊1939個、斜面崩壊・落石などによる道路・鉄道の不通箇所をおおくだし、甚大な被害をもたらしました。

 「あのときは、午後から米子で県の行事があるというので、根雨の保健所で仕事をしていて、さあ昼ごはんでも食べようと表にでたら、ゆらーゆらーゆれだして、あれー、なんだーと思っとったら、車がぐらんぐらんゆれてし、電信柱の線が地面のあたりまでさがってくるですけえ。酒屋の奥さんが飛び出してきて、地面にへたりこんで、酒やウイスキーのビンもガシャンガシャン落ちて、えらいことでしたわ」

 地震のとき、私は鳥取の共産党事務所にいて、会議中でした。三階にいたのですが、尋常でない、強いゆれを感じたことを覚えています。

 Mさん宅に着き、あいさつをすると「どうぞ、どうぞ」と訪問を歓迎してくださいました。
 Mさんは80歳、おくさんは81歳で、夫婦二人暮らしで、いま4反の田んぼをつくっている農家です。

 「ここに来ながら、地震の話をしていましたが、このあたりは、大変だったそうですね」と訊くと。

 「えらいことだったですわ」とMさん。

 Mさん夫婦は、田んぼで稲刈りをしていて、幸い難をのがれたとのこと。
 しかし、草屋根の家は、大変な壊れようで住める状態でなかったそうです。
 「あんなことは初めてですわ。まるで海にいるようで、地面が波のようにゆれとりました」。

 地震の被害で途方にくれながらも、役場にでかけ町長に直談判、町も混乱していて、埒も明かない状態だったと話されました。

 その後、全国からボランティアが集まり、被災者救援の活動がはじまりました。
 
 片山善博(当時)知事も現場にかけつけました。

 幅田さんも、ただちに被災者救援の活動を開始し、奔走する毎日でした。
 日本共産党国会議員団事務所とも連絡をとり、中林よし子衆議院議員も現地にかけつけ、Mさん宅を訪問しています。

 こうした動きのなかで、片山知事は「このままでは、この地域から人がいなくなる」と、所得・年齢制限なし、唯一の条件が「もといた居住地域内」に家を建て直すこと、そして、建てかえる人に300万円、修繕する人は150万円を限度にその3分の2という手厚い住宅支援策を、霞ヶ関に「憲法違反だ」といわれながらも決断しました。

 そして、溝口町も町独自の支援を決定。

 これらの支援をうけて、Mさんは500万円で、家を建てかえることができました。

 地震以来、幅田さんとの交流がはじまり、さまざまな問題に幅田さんは、親身になって相談にのってきました。

 最近奥さんが、病気になり、入院費や治療費がかさみ、年金だけでは生活ができなくり困っていたところ、幅田さんが生活保護の申請手続きをとってあげました。

 「このまえ、病院にいったら、お金はいらんといわれて、夢をみとるようでした」と奥さん。
 「本当に、幅田先生にお世話になっとるです」と。

 「こういうことをするのが共産党ですけえ」と幅田さん。

 そして、「私たちと生涯をともに生きましょう」と幅田さんが訴えると、二人、ためらうことなく、入党してくださいました。

 入党申し込み用紙にご主人が生年月日を書くのを見ながら、「あら、今日は、お父さん、誕生日でないか?」と奥さん。

 「そうだ、本当だ、誕生日だ」

 「それはおめでたいですが、そして今日は第二の誕生日ですけえ、がんばりましょうで」と固い握手をかわしました。

 幅田さんの活動に、「国民の苦難解決の党」としてがんばる党員の原点を見る思いをしました。
 
 
  1. 2008/03/24(月) 06:38:27|
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