住宅メーカーでセールスの仕事をしている次男は1984年3月17日生まれで24歳。
消費不況で、不動産分野の冷え込みも大きく、毎日遅くまで悪戦苦闘のようです。
私が結婚したのは1981年11月26日。
ちょうど誕生日の日でしたから25歳になったばかりでした。
食事をしながら、自分もこんなころがあったなあと、息子と重ね合わせて当時を想いおこしました。
次男が生まれた日は、当時、レーガン政権が核兵器先制攻撃戦略をつよめ、とくにトマホークミサイル使用の危険がうまれるなか、境港市でトマホークに反対する集会がおこなわれた日でした。
この写真は、次男が生まれた翌月ころ、となりは一歳うえの長男。

これは、私が1985年の7月から8月にかけて、モスクワで開かれた世界青年学生平和友好祭にでかけたことから、送り迎えが一人では大変と、その間、私の両親にあずけ、兵庫県浜坂町(当時)の諸寄(もろよせ)にある保育園に通っていたころです。

これは、87年のころの写真ですが、86年1月に長女が生まれました。
当時、鳥取市田園町(でんえんちょう)というところに住んでいたときの写真です。
送り迎えというと、私は車ですが、妻はいろいろ苦労があったようです。
自転車に三人のせて通ったころは、とてもしんどかったと今でもときどき口にするほどです。

これは、「トムとジェリーを見て笑っているところ」と書いてありました。

その次男が、先日仕事先で
「あんたのお父さん、ようがんばっとんさるなあ」
「共産党は一番すっきりしているけえなあ」といわれたとのこと。
ただ、それだけのことですけど
次男がどう思ったのかなあと、ふと思いました。






