岩永なおゆき 駆けある記

 消費税増税、憲法改悪ゆるしません!

年賀状あれこれ

 一日は、元旦宣伝から帰ると娘が
 「お父さん・・・」とえらく神妙にいうもので

 「なんだーぁ?」というと
 「新年あけましておめでとうございます」と。

 ついつい、こちらのほうの無作法を恥じ入り
 ひざをととのえ
 頭をさげて

 「新年あけましておめでとう」と
 こちらも神妙に
 娘に新年のあいさつをしました。

 そうこうしていると年賀状が届き
 あの人、この人とみていると

 京都のスーパーで働いていた友人が、浜坂(私の出身地)に帰り
 「○○で働いているから、一度立ち寄ってください」などと書いてありました。

 そういえば、高齢の両親をみるために帰るといっていたのを思い出しました。

 いとこからも
 「昨年から袋河原(父の出身地)に帰りました」
 「田舎の食に満足しています」と。

 年賀状は親戚・友人・知人の近況を知る
 大切な「仕組み」「制度」だなあなどと思いました。

 年賀状にひととおり目を通し
 すこし、これを機会に古い年賀状にも目を通してみました。

 あらまー、これはレトロな年賀状
 手にとったのは昭和41年のものでした。

 兄にきた友人からのものですが
 「おめでとう」が「おぬでとう」になっています。
 
 レトロな年賀状 昭和41年

 先日引退したゼロ型新幹線です。

 私も中学校の修学旅行(1971年)ではじめて乗りましたが
 給水機の紙コップが珍しく
 何枚もみやげにともって帰ったことがありました。

 あら、まー、これもレトロ。

レトロな年賀状 昭和41年日産自動車

 広告の年賀状は、いまでも沢山とどきますが
 昭和41年の日産自動車のもの。

 「派遣切り」で社会的責任がとわれている自動車産業ですが
 このころは高度経済成長時代。

 さかんに、内需。
 セールスをかけていたころの年賀状でしょう。

 あらー、こんな年賀状がきてたっけ
 そう思ってとりあげたのは
 私が学生時代の1975年の夏
 酪農実習でお世話になった
 北海道別海町の酪農家のおばさんからのものでした。

かわいがってくれた牧場のおばさんから

 とても、私を気に入って
 かわいがってくださり

 四人の娘さんがいましたが
 「だれでもいいから、お嫁さして、うちにきてくれねっぺよ」といわれたこともありました。

 しかし、厳しい農作業や
 厳冬期のことを想像すると
 「とても、とても」と鄭重におことわりしたのですが

 1983年の年賀状ですから8年後のもの。
 私がいった当時は牛舎のほうが立派なお宅でしたが

 その後、お婿さんがきて、立派な住居もたて
 農場も「西牧ファーム」と命名。

西牧ファーム 昭和58年
 
 その後、おじさんもおばさんも亡くなり
 いま、音信はありませんが
 一度、近況を尋ねてみたいと思いました。

 それから、年賀ハガキにまじって
 こんなハガキも

 昭和45年参議院選挙ハガキ

 昭和45年の参議院選挙のときのハガキのようです。
 全国区の須藤五郎さんのものです。

 「私も心から支援しています。ぜひともご支援お願いします」というコメントが添えてあり
 
 表をみると
 鳥取市に住む私のおじさん
 船井昭一さんからでした。

 船井さんは当時鳥取市役所につとめ
 市職労の委員長もしていました。

 いまは退職して随分になりますが
 若い頃からの共産党員で

 当時、父はまだ共産党に入党していませんでしたが
 国政選挙などで支持を訴えていたのでしょう。 
  
船井昭一さんからの選挙ハガキ

 それから、どうにも思い出せない年賀状がありました。
 私が父あてに出した年賀状です。
 
宝島郵便とありますから頼んで送ってもらった年賀状だと思います。

 なぜ「記憶にないか」
 というと
 こんな上手な字を私が書けるはずがないからです。
 それも毛筆です。
 
 「おかしいなあ」と思いながら
 うらかえしてみると
 九州、鹿児島の開聞岳の絵がかかれています。

どうにも思い出せない年賀状
 
 もういちど表をみると
 「宝島郵便」とあります。

 どうやら「宝島郵便」ということで縁起をかついで
 依頼して送ってもらったハガキではないかと思われます。

 しかし、この字は父の字のようですし
 「核兵器廃絶」という文字もあり
 やはり、不可解です。 

 父の年賀状も何枚かでてきました。
 ならべてみるとなかなかの作品群だと思いました。

 教員もしていたこともあって
 毎年毎年
 ガリ版や版画、ゴム版画などで
 あれこれ趣向をこらした年賀状をつくっていました。

 今回は、そのなかから
 出てきたものを紹介します。
 
 最初は1959年(昭和34年)のもの
 毛筆で書いています。 

父の年賀状 1959年


 「おやじにはどうしても勝てん」などとよくいっていました。
 その父の「おやじ」というのは彦(ひこ)じいさんといいまして

 私のおじいさんです。
 あまり記憶がありませんが
 父にとっては、とてもよい「父」だったようで
 「字」についていえばのりこえる「目標」でもあったようです。

 年賀状ではありませんが
 その彦じいさんのハガキもありました。

達筆だった彦じいさん

 1962年(昭和37年)
 寅の版画がついていました。

 父の年賀状 1962年

 1963年(昭和38年)
 ウサギの版画。 

父の年賀状 1963年

 1965年(昭和40年)
 へび

父の年賀状 1965年

 1967年(昭和42年)
 ヒツジ

父の年賀状 1967年

 1969年(昭和44年)
 トリ
 これはガリ版ではないでしょうか。

 父の年賀状 1969年

 1970年(昭和45年)
 イヌ
 これもガリ版でしょう。
 大阪万博の年です。

父の年賀状 1970年

 1973年(昭和48年)
 干支以外のカットも。
 居組の穴見海岸のガリ版カットです。

父の年賀状 1973年


 1975年(昭和50年)
 版画もカットもない年賀状。
 こういう年もありました。

 ただし、この年に父は体をこわし退職。
 いろいろあったからかもしれません。

 同時に、この年父は共産党に入党。
 私が鳥取大学に入学したのもこの年でした。

父の年賀状 1975年


 すこしとんで
 1977年(昭和52年)
 ヘビ

父の年賀状 1977年

 1978年(昭和53年)
 ウマ
 水彩の色つきになりました。

 父の年賀状 1978年

 1979年(昭和54年)
 ヒツジ

父の年賀状 1979年

 1980年(昭和55年)
 サル
 私の干支です。

 このあたりから、すこし政治的メッセージがはいるようになりました。

父の年賀状 1980年

 1981年(昭和56年)
 トリ
 
父の年賀状 1981年

 1983年(昭和58年)
 いのしし

 父の年賀状 1983年

 1984年(昭和59年)
 ネズミ

父の年賀状 1984年

 1985年(昭和60年)
 ウシ

父の年賀状 1985年

 1986年(昭和61年)
 トラ

 父の年賀状1986年

 たかが、年賀状
 されど、年賀状。

 積み重ねてみると
 並べてみると
 人の歩みをつづる
 ひとつの作品になるものだと思いました。




 











 
 







 







 
  1. 2009/01/02(金) 07:15:48|
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